2020/07 No.440

 

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師の作品を学ぶ
       
 松籟も噴水にきて真白に
  草田男(昭和二十三年作・萬緑八月号)
 山雲は日に日に白し夏燕
  幻 魚(昭和五十年作・黒姫百七十一号)
 噴水の穂尖の金星遠時鐘
  紫 晃(句集「青山椒」昭和六十二年作)

草田男句は昭和二十三年萬緑八月号掲載作品中の一句。「松籟の音が噴水に届き、噴水の飛沫に混じり真っ白な飛沫として飛散する情景」と私流に解釈した。草田男師の写生論に「対象を観察し、その対象の奥に潜み、自分の心の内容とぴったり呼応し一致する焦点を捉える。対象の焦点であるか、心の焦点か、その区別がつかないくらいに双方が一体となった焦点を把握する。」と具体的な示唆がある。此の句の心の焦点と対象の焦点は何か。「真っ白」を心の焦点、「噴水」を対象の焦点としてみた。

幻魚句は黒姫誌の連作「生還三十年」の一句。題名の「生還」とは復員のことで、師は昭和二十年八月十五日に、スマトラ島パタン市で敗戦を迎え翌年六月復員したのである。此の幻魚句を草田男写生論で考えると、「白し」が心の焦点、「夏燕」が対象の焦点である。更に、幻魚師は、この句に対し「内なるものの湧出と外なるものへの一如一躍が欠けている」と述懐しており、草田男写生論を確り踏まえていることが解る。そこで、二人の師が何故「白」に拘るかと思い、牽強付会であるが、広く仏教で言われている「無我」(自分など存在しない)の教えが核心にあるのではと結論してみた。

紫晃句の写生眼は綿密で視覚聴覚が見事に働いてる。噴水の穂尖に金星が瞬く瞬間と時鐘の響きの取り合わせは巧みであり、紫晃師の感性の奥深さを感じた。この句では「時鐘の響き」が心の焦点、「金星の瞬き」が対象の焦点、と位置付けしてみた。

(北童記)
 

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九輪草
       
 遅咲きの紅しづもりて椿散る神田北童 
 ウイルス禍現世うつしよは花咲き満つる 〃 
 老木の渾身の意気桜咲く 〃 
 桜東風渡る山河の目覚めゆく 〃 
 夕雀ざわめく枝の桜満つ 〃 
 口笛に応ふ老鶯声くる 〃 
 胸元へ五月の風の豊かなり 〃 
 尾をよぢり風を呑み込む鯉幟 〃 
 奔放に空地を占むる芥子の花 〃 
 小流れのにひそと咲く九輪草 〃 
 大杉の大悲の影に九輪草 〃 
 たへまなく瀬音に揺るる九輪草 〃 
 里山の瀬音きらめく九輪草 〃 

 

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黒姫抄
       
 一陣の風に死角も花の屑井上ひさ子 
 青東風や見えざる敵に家ごもり吉田春子 
 あかときの色を離さず桐の花浅野竹廣 
 花の声「コロナ消滅」ささやけり稲沢礼子 
 身じろがぬ一羽残して鳥帰る大家惟男 
 来し方を澪に残して春の潮新島俊哉 
 経蔵の一切経に風光る神田三布縷 
 友に捧ぐ和讃の憂ふ春彼岸山瀬やす子 
 手の中にふはりと軟きさしも草奥原昭子 
 花冷えやウイルス恐怖増すばかり吉村郁子 
 嬉しくも寂しくもあり喜寿の春今井絹江 
 復興の兆し確かに花林檎北村秀男 
 太鼓門閉ぢて濠垣花明り茅野裕彦 
 手庇の先に雪形白馬岳高野東山 
 耕して海へ向つて深呼吸工藤チトミ 
 満開の老桜の如生きたくも中澤圭子 
 きらきらと沢の光や芹育つ西 絹代 
 母の日や鉢の寄せ植ゑ届きけり藤沢恵美子 

 

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博塵集 白塵集
       
 一陣の風に死角も花の屑井上ひさ子 
 青東風や見えざる敵に家ごもり吉田春子 
 あかときの色を離さず桐の花浅野竹廣 
 花の声「コロナ消滅」ささやけり稲沢礼子 
 身じろがぬ一羽残して鳥帰る大家惟男 

 

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机塵集 清塵集(同人・会員)
       
 来し方を澪に残して春の潮新島俊哉 
 経蔵の一切経に風光る神田三布縷 
 友に捧ぐ和讃の憂ふ春彼岸山瀬やす子 
 手の中にふはりと軟きさしも草奥原昭子 
 花冷えやウイルス恐怖増すばかり吉村郁子 
 嬉しくも寂しくもあり喜寿の春今井絹江 
 復興の兆し確かに花林檎北村秀男 
 太鼓門閉ぢて濠垣花明り茅野裕彦 
 手庇の先に雪形白馬岳高野東山 
 耕して海へ向つて深呼吸工藤チトミ 
 満開の老桜の如生きたくも中澤圭子 
 きらきらと沢の光や芹育つ西 絹代 
 母の日や鉢の寄せ植ゑ届きけり藤沢恵美子