俳句は象徴詩
- 十七音なのに無限
- 換喩(メトニミー)
- 提喩(シネクドキ)
- 隠喩(メタファー)
- 象徴と凝縮
俳句は呼吸する
- 我今此処
- 言葉の身体性・記号接地
- 定型律は感情、嘆息、沈黙
- 舌頭千転 耳の俳句
俳句は覚悟の文藝
- 多くを語らず
- 以心伝心 不立文字
- 拈華微笑 以心伝心
- 云い仰せて何かある
俳句は三位一体の不思議な文藝
- 作者(作品)
- 読者(感想)
- 選者(鑑賞)
- 三者で句を育てる

酸素飽和度 徳久芳拙
- 蒼蔦の一樹を覆ひ目指す空
- 片陰の切れて日傘の江戸小紋
- 雲垂れてなほ底紅の明るさよ
- 指に灯る酸素飽和度真夜の月
- 朝なさな翔平といふ爽やかさ
- 霧昇る山稜かげを顕はにす
- 白鳥座氷河の窪に山泊り
(涸沢カールにて)
- 内湾に漁の終ひの秋の水脈
- 平皿に余る秋刀魚にすだちの香
- 虚栗骸の殻の累々と
俳句仮説
多作多捨は正しいか より
俳句のウェルビーイング
私たちは後期高齢者
初期・習熟期
多作多捨(量の追求)
円熟期・老年期
寡作推敲(質の追求)
・老化、身体的制約への適応
・人生経験の深さの活用
・過去の作品を深耕し仕上げる

令和八年度の予告「詩歌の原理に新たな文脈を」
「句は己の形であり影である」 幻魚
芭蕉は参禅しており禅的詩観を持っていたと考えられ、鈴木大拙の『禅入門』にも度々句が引用されています。
後年、子規は西洋絵画に影響を受け写生論を提唱し、虚子は佳句獲得の方法論を構築しました。また誓子は映画のモンタージュ技法から詩情を生み出そうと試みています。
戦後の試行錯誤を経て、詩の原理は果たして解明されたのでしょうか。
令和の現在、生成AIという新たな問いに直面する中で、詩や俳句の原理を新しい文脈で語り直すことはできないでしょうか。まず、言語学、心理学、脳科学の視点から、詩情がどのように説明されるのかを検証し、幻魚師の言葉の奥を探ることから始めたいと思います。
(芳拙)


博塵集
玻璃に露むすぶ夜更けの皆既食 三浦真佐子
深く冷えた夜更け、窓ガラス(玻璃)に夜露が静かに結ばれている情景と、空で進行している皆既月食(皆既食)の神秘的な現象を対比させた一句です。外の冷気が作り出す「露むすぶ」という微細で静的な現象と、宇宙で起こる「皆既食」という劇的な現象が同時に描かれています。
特に、玻璃に映る月の光が失われていく様子や、夜の静けさが極まる中で、自身の小さな世界(玻璃の露)と広大な宇宙の出来事(皆既食)が同期しているかのような、厳粛で哲学的な感覚を呼び起こします。冷たく透明な美しさと、宇宙の時間の流れを感じさせる、スケールの大きな句です。
調べについて
「はりにつゆむすぶよふけの」と、全体に清音と母音「う」が連続し、静かで冷たい透明感のある響きを持つ。最後の「かいきしょく」で音がやや詰まり、宇宙的な現象の厳粛さと、夜の静寂の底にある緊張感を表現している。
この句の余情は認知的共感に近い。皆既食という宇宙的現象を、ガラスの露という小さな視点から捉えることで、読者は宇宙のスケールや時間の流れについて思索を促され、その厳粛さや神秘性に知的に共鳴する度合いが強い。

白塵集
蛇苺これより先は杣の道 吉田春子
道端の食用にはならないが鮮やかな赤い実をつけた蛇苺が目に入った。まさに山仕事をする人だけが通る「杣の道」への境界であることを詠んだ一句です。蛇苺の、いかにも野性的でどこか近寄りがたいような存在感が、これから分け入る山道の険しさや非日常性を暗示しています。
「これより先は」という明確な線引きによって、目の前の光景が、日常の穏やかさから、自然と人がより深く関わる山間部へと切り替わる瞬間を強調しています。小さな蛇苺が、世界観の転換点を示す、象徴性の高い句です。
調べについて
「へびいちご」の軽快な響きから、「これよりさきは」と音が滑らかに続き、「そまのみち」で静かに着地する。全体として、境界を越える前の静かな緊張感と、山道の寂しさを感じさせる、平明ながらも引き締まった調べ。
この句の余情は認知的共感に近い。読者は「これより先は杣の道」という事実から、その道を歩む杣人の生活や、その先の山の厳しさや神秘について理知的に想像力を巡らせる。蛇苺はその境界性を示す記号として機能している。

清塵集
虫の音や遠き鉄路の最終便 櫻井半吉
夜が深まり、あたり一面に虫の音が満ちている中で、遠くを通過する最終便の列車が立てる響きを聞いている情景を詠んだ一句です。「や」の切れ字が、まず秋の夜の静けさと、そこに響く虫の音の広がりを強調しています。その静けさの底から聞こえてくる「遠き鉄路の最終便」の音は、一日の終わり、人々の活動の終わりを告げる象徴的な響きです。
虫の音が自然の時間や生命の連続性を感じさせるのに対し、最終便の音が社会の時間や人間の移動の終わりを象徴し、二つの時間の流れが交錯する瞬間に、深い孤独感や、どこかへ向かう旅人への感傷的な思いが感じられる、余情豊かな句です。
調べについて
「むしのねや」と穏やかに始まり、静けさと広がりを感じさせる。「とおき」の「お」の音が遠方を想像させ、「さいしゅうびん」の「う」の音や撥音「ん」が、終焉と余韻を静かに響かせ、情感豊かな調べとなっている。
この句の余情は情動的共感に近い。「虫の音」がもたらす孤独感や寂寥感、「最終便」がもたらす一日の終わりや旅人への感傷など、情感的な寂しさや切なさに深く共鳴する度合いが強い。

夏木十月号 栖雪集
きちかうや定規を当てて書くたより 阿部紀子
初秋の光が射し込む部屋。窓辺に涼しげな紫色の桔梗が一輪。机に向かい一文字一文字、定規で引いた線に沿って丁寧に便りを書き綴っています。その真剣な横顔、便箋の白さ、桔梗の青紫の対比が鮮やかです。
定規を当てて書くのは相手への真摯で几帳面な想い、あるいは決意のこもった内容を想像させ、句の核となっています。
句の調べ
きちかうや/じょうぎをあてて かくたより
上五、下五共に、一音一音を噛みしめるように、静かで硬質(K音)なリズムを感じさせます。定規を当てて書く几帳面さや真剣さを表しているようです。
季語の効果 桔梗(初秋)
桔梗は皆さんご存じの通り、エッジの立った花弁で、開かんとする蕾も花弁に切れ、正に句意に合致した姿です。もしかすると、桔梗に触発されて一句とされたのかも知れません。
作者を存じ上げないままの、勝手な鑑賞をお許し下さい。(黒姫 徳久芳拙)

りんどう十月号 山霧集
秋出水海は夕陽を争はず 森 溪児
「秋出水」は、秋の長雨などで河川が増水し海へ流れ込む現象。この激しく力強い水の流れ込みに対し、海は静かにそのすべてを受け入れ、さらに「夕陽」という壮大な自然の光景にも無関心である(争わない)という、自然の偉大さ、無関心さ、静かな受容の情感が通じ合っている。
勢いよく海に流れ込む「秋出水」の動的な現象と、それを静かに受け入れる「海」の雄大な姿を対比させ、崇高な自然の摂理を描写しています。特に「海は夕陽を争はず」というフレーズは、海という大自然のスケール感を強く印象づけており、強い詩感を生んでいます。
切れの効果
句の後半「海は夕陽を争はず」が全体として静かで雄大な景を提示し、それに対して前半の「秋出水」が、激しい出来事として対比・提示され、自然の動と静の余韻を生み出している。
切れの位置
第二句「海は」の「は」が準切れ(強調)として機能している。
母音列
あきでみず うみはゆうひをあらそわず
調べも「あ」や「う」の母音が連続し、静かで滑らかな音調が、海の広大さと夕暮れの情景を深めています。
作者を存じ上げないままの、勝手な鑑賞をお許し下さい。(黒姫 徳久芳拙)

りんどう十月号 山霧集
一番花つけて胡瓜が小指ほど 小野昌子
胡瓜の生育の初期段階を捉えた写生句でありながら、「一番花」の美しさと、実の「小指ほど」の可愛らしさを巧みに結びつけ、美感に溢れた作品となっています。
特に「小指ほど」という親しみやすく具体的な比喩が、読者にその小ささ、初々しさを強く印象づけ、強い詩感を与えています。
音調は滑らかで、生命の息吹を感じさせる上昇音調を帯びています。命の誕生と成長を、的確かつ情感豊かに描写しています。
作者を存じ上げないままの、勝手な鑑賞をお許し下さい。(黒姫 徳久芳拙)
