随想 神田北童

神田北童

 目 次
  1. 新春随想 2025 芭蕉の心の言葉を振返る
  2. 新春随想 2024 句作の原点を考える
  3. 新春随想 2023 不条理な世に向き合う俳句作り
  4. 新春随想 2022 自然と素直に向き合う句作
  5. 新春随想 2021 コロナ禍での俳句作りの道を考える
  6. 新春随想 2020 自然との対話
  7. 新春随想 2019 俳句の縁起を考える
  8. 新春随想 2018 俳句の社会性について
  9. 新春随想 2017 人事諷詠句か自然諷詠句か
  10. 新春随想 2016 俳句への志
  11. 新春随想 2015 新たな課題
  12. 新春随想 2014 「塵」への思い
  13. 新春随想 2013 「座の文芸」を受け継ぐために
  14. 新春随想 2012 年頭に思う(No.389より一部転載)
  15.      天災と俳句(東北・太平洋大地震・大津波との遭遇)
  16. 新春随想 2011 年頭に思う
  17. 新春随想 2010 提言 俳句文芸の絆をつなごう
  18.      俳句の楽しさ・深さ・広さを知ろう
  19.      最近の天災と、俳句について考える

 

新春随想 2025 芭蕉の心の言葉を振返る

(現代世相に芭蕉の言葉を活かすには)
「諸行無常」について昨年の新春随想で触れたが、現在の世相も変わらず、残念乍ら世界では国家間での争いは続き戦禍が絶えない。又昨年十一月に衆院選が行われ、十五年ぶりに与党が過半数割れとなり、政府は国民の信を失ったままの政権の継続に至難の道を歩んでおり、ここでも無常感が漂う。

この様な社会環境で俳句の世界を生きる俳人の心の姿勢をどうするか、改めて原点に返り芭蕉の心の言葉から学び直すことを試みてみたい。芭蕉が晩年残した「不易流行」という言葉は有名である。次にその要旨について記す。

不易とは永遠不変ということ、流行とは流動変化すること、その二つは実はイコールであって、ともに“風雅の誠“(詩歌における真実心。純粋な詩情)にもとづいている。つまり、真実を追求することによってたえず自己脱皮をとげ変化していくことこそ、俳諧の不変の本質がある。
・・〔芭蕉ハンドブック・尾形仂編・参照〕・・・

現代の諸行無常・不易流行の混迷の世相の中で、私達は己の足元を見詰め、改めて俳句作りの中での真実の追求を目指し、絶えざる変化、絶えざる自己脱皮への努力が必要なのではないだろうか。

それでは、「《諸行無常の中での風雅の誠の追求》」のために、今、俳人として「心の姿勢」をどう具体化するか、「芭蕉のこころの言葉」を参考に私の指針としたい姿勢を考えてみた。
(〔参考・田中善信著「芭蕉・日本人のこころの言葉」〕)

  1. 天命に従って生きようという姿勢。
    *芭蕉の人生観の根底に「天命」に随順に生きる、
    即ち「あるがままに生きる・自然に生きる」という思いがある。
  2. 無心の境地からの句作り。
    *芭蕉の句に
     眼前
    みちのべのむくげは馬にくはれけり
    眼前」の前書きを添えた芭蕉の本心は「みたまま」
    即ち・無心の境地を強調するためと云われている。
  3. 生死(しょうじ)を解決する姿勢。(芭蕉は常に死を意識して生きた)
    *芭蕉が「奥の細道」へ出立する直前に残した手紙(元禄二年二月)
    住み果てぬ世の中、行く処、帰る処、何につながれ、何にもつれん。
    (人間は誰でも必ず死ぬということを常に自覚していた芭蕉の手紙)
  4. 和を重んじ穏和に過ごす姿勢。

以上、やや難解なテーマでもあるが、芭蕉が目指した心の姿勢を参考に掲げてみた。私達は今後の俳句作りの姿勢をどのようにするかを、これから迎える新たな年での句作で、よく考えていきたい。

目次へ

 

新春随想 2024 句作の原点を考える

「諸行無常」という言葉がありますが、昨年一年間は無常が人間の数多の命を奪い去りました。ロシアのウクライナ侵攻による戦争の継続、更に十月にはイスラム組織ハマスのイスラエル攻撃に端を発したガザへの報復攻撃が凄まじく、多くの人命が失われました。いつの世になっても尊厳ある人の命と暮らしが奪われる戦争が絶えない現実には愕然とします。

「人の命の尊厳は、人間の連帯の為の最後の土台である。」 ・・作家、徐京植の言葉・・

この様な痛ましい戦争の続く時流と、世相の変動する無常の中での句作りには戸惑いを覚えますが、今、私達は句作の場を与えられた幸せを噛みしめて粛々と句作りに励みましょう。そして、自然や人間の「命の尊厳」も考えてみたいと思います。

十七文字の世界での表現は限られていますが、創作の世界は自由で広く深いと思います。諸行無常と向き合い、どのような心構えで俳句文芸に臨めばよいかを模索して、俳句作りにいそしみたいと思います。

「世界が全體幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する」(宮沢賢治・農民芸術概論より)という言葉があり、私の胸に強く響いています。この言葉の背後には法華経があります。

宮澤賢治は明治後期から昭和初期の三十七年間を疾風のように駆け抜けた人で、賢治は「法華経」を信仰し、法華経から学び「来世ではなく、今ここに住む娑婆世界こそが仏の世界で、ただ今、この一瞬の時間の中に永遠の時間が内包されている。」と現実の行動を大切にしました。そして賢治は今生きている世界が仏の世界であること知り。仏の無限の慈愛が己の現実にそそがれている事を体感し、「自分の世界が肯定されている」と思い生きる意欲が湧いたと言われています。そこで、賢治の生き方を参考に「自分の世界を肯定するための句作り」をどの様に行うかを、目標にした現時点での「句作の原点」を具体的に考えてみました。

**句作の原点**
(一)今、この一瞬の眼前の感動を見とめ言いとめる。
(二)自然諷詠を基本とする。
   (自然は俳句の素材ではなく、人間の内面を触発する存在である・・・・・中村草田男)
   (無言の自然風景との対話の中に自己の存在を確かめながら、
    こつこつと歩いてゆく生き方を失いたくない。・・・・・東山魁夷画伯)
(三)五感で感じたことを素直に表現する。(黒姫の理念を参考)
(不易流行を信条として、郷土に立脚した作品を己のために生み続ける・・・・・黒姫の理念)

この理念の不易流行の解説

「不易」とは、時代の新古に関わらず、作風の変化や時代の流れにも関係なく作品作りをする姿勢。

「流行」とは人の口真似や、単に時代の変化に追従しなで、時代の流れに沿って「」を追求し、己の道は何かを求めて俳句作りをする姿勢。(この「誠」とは自然の生命に順応し自然の精神に溶け込むことである。そこから天の恵み、天の慈愛を感じ、人間愛を抱き誠の俳句作りが出来る。)

この三点の(一)・イマ(二)モノ(三)ワレ こそが、年頭に当たり私達の「句作の原点」であると考えたいと思います。特に、実作での自然諷詠での姿勢は重要です。

自然に触れ眼前の風景から常に感動が湧くであろうか。そのための心構えはどうするか、正岡子規の次の示唆があります。
「鳥声草花我を迎ふるが如く、雲影月色我を慰むる如く感ずべし・・・・・正岡子規・俳諧大要」
この示唆を参考に、己の句作の原点を、もう一度見直してみたらどうでしょうか。

 追 記
「不易流行」について前述しましたが、現代の世相の流行の激しさ(特に、他国での戦争の勃発)について、私達は俳人であっても無関心ではありません。「時代に沿って「誠」を追求する不易流行の精神」は忘れてはいません。ロシアのウクライナ侵攻・ガザの惨状、無辜(むこ)の民が殺戮されて人間の尊厳や人類の築いた道徳の無視が、簡単におこなわれている現在の戦争に強く抗議します。十七文字に籠める平和への思い・祷りも、句を作る各々の人の胸にあるのだと自負したいと思います。

目次へ

 

新春随想 2023 不条理な世に向き合う俳句作り

令和四年は、安倍元首相銃撃死・コロナウイルス第七波のデルタ型をはじめ変異ウイルス拡大の猛威・知床遊覧船沈没・ロシア暴挙によるウクライナ侵攻・東京五輪汚職・北朝鮮の弾道ミサイル発射実験・旧統一教会事件・物価高等々、不条理で予測のできないさまざまな問題が起こりました。

この様に現代社会は時々刻々と「不条理」な事が起こります。その中で、「俳句作り」をどのような立ち位置で行へばよいかを、もう一度、皆さんと共に考えてみたいと思います。。

二〇二一年・二〇二二年の新春随想でも、コロナ禍での俳句作りについて、いろいろと、識者の言葉と示唆、芭蕉・草田男師の教示を参考として本誌に掲げ、色々と考えて俳句活動をしてみましたが、俳句作りは、そう容易ではありませんでした。。

紙上句会・リモート句会等の現実に直面して困惑している皆さんの声が沢山聞こえてきました。コロナ禍で日常行動が制約されていることや、互いに肩を触れ合い句会を開き、仲間同士が交流できる場が少なくなったのが大きな要因だとも思います。。

そこで、これまで、俳句が「座の文学」と言われてきた所以について、もう一度、基本的な考え方を振り返り確認したいと思います。。

まず「俳諧の座」の歴史的背景について考えてみます。山本健吉氏の言葉を引用抜粋「俳諧の座は、元来自由狼藉の世界なのである。俳諧が在々所々で行われたのは、村々の生活共同体、つまり村付き合い地盤とすることによってである。付き合いとは共同飲食・社会的強制を含む労働交換、義理を欠かすことのできぬ地縁的・族縁的関係である。そこにもっと気楽な精神的要素の強い付き合いが求められてくると、それは共通の趣味・娯楽・学芸等によって結び合った心縁関係に成長する。それは茶を飲み合いながら雑談に興ずる仲間、つまり茶寄合いであり、あるいは俳諧の座である。俳諧は元来、そのような地域的な協同体の寄合いに端を発した、連衆の文学なのである。」。

この「俳諧の座」を作ることが「連衆の文学」・「座の文学」の始まりと言えます。次にこの「座の文学」を裏付けするように芭蕉の俳諧活動がその基礎を築いた歴史を振り返ります。。

芭蕉は二十九歳の時伊賀を出奔して江戸へ下り、西山宗因の連句の席に列し付句を始めてから、芭蕉の俳諧の世界が始まりました。芭蕉はその後の江戸での生活体験や数々の旅の経験を通して、庶民生活の実情に通じ、庶民の生活感情の微細な点まで知り、貧しさや苦しさ等も体験して人生における豊富な知識を共有できて、庶民との連帯感を身に付けたといわれます。そして、それまでの短歌・連歌の文学的理念とは異なる、土地を越え、階級を越え百姓・町人・武家・公家・世捨て人等、誰もが同席できる俳諧の座を作り、連衆の文学である「座の文学の俳諧」を推進したのであります。。

又、芭蕉俳諧の発句は三つの声を持っていると言われています。山本健吉氏は、これを次のように分析しています。「第一の声は、自分自身にささやきかける声。第二の声は特定の人に話しかけ、同時に座に居並ぶ人達にも聞かせる声。第三の声は故人か精霊ごときものに呼びかけたり、第三者に仮託して表現しようとする声」です。この三つの声を持つ発句(俳句)作りに心がけ「座の文学」を推進したのです。。

このように芭蕉は己の作品を通しても「座の文学」の基盤作りをしました。そこで、これまで述べた此の原点を視野に入れた俳句作りをすることにより「不条理な世に向き合う俳句作り」の第一歩を踏み出すことが、出来るのではと考えてみました。  具体的な結社の動きの中で己の立ち位置をどうするかは、我々のそれぞれの行動力と責任にまかされる訳ですが、先ず、その前提となる精神的支柱として此の原点をしっかりと心得て置くことが重要であると思います。年頭に当たり、私も己の足元を見つめ、この「座の文学」の原点を踏まえて第一歩を踏み出したいと思います。。

目次へ

 

新春随想 2022 自然と素直に向き合う句作

コロナ禍での三回目の新年を迎えます。ワクチン接種が進み、昨年の十二月十六日現在で、日本は二回目総接種率72.8%(約九二二〇万人)で世界でも高い接種率と言われています。少しずつコロナウイルスと共生出来る様になって来たのかもしれません。

「地球はいのち(人類・ウイルス・生物・自然等)の糸で編み上げられているネットである・・センスオブワンダーより」という考え方を昨年の新春随想で記しましたが、コロナに関しては「地球の命の糸のネット」が少しずつ形を整えてきたのかも知れません。しかし、油断はなりません。いつ此のネットは破れるかもしれません。

これに関して、もうひとつ大切な示唆があります。「現代の人間は自らを自然の「外側」に捉えるようになりました。この百年は、自然と距離をとりコントロールしようとしてきました。東日本大震災は何度も想定外と表現され、コロナも同じです。自然界の気候変動やコロナウイルス感染要因も他人(ひと)事なのは無理ありません。自分事にするには、人間は自然やあらゆる生き物の一部という感覚を取り戻すしかないと思うんです。・・中村圭子氏 JT生命誌研究館名誉館長」

この言葉は、芭蕉の信条「造化にしたがい造化(自然)に帰れ」に全く同じと思います。そこで、年頭にあたり、もう一度俳句活動の原点を「人間は自然や生き物の一部」という考えに立つことが必要だと考えました。

それでは、具体的に句作りでの自然とのふれ合い方をどの様にすればよいでしょうか。 「人間は自然や生き物の一部」と考えて写生句作りをする。先ず第一歩は、素直な姿勢で自然と向き合うことだと思います。素直な姿勢を仏教では自然法爾じねんほうにと呼ぶそうです。意味は「おかげさま。ありのままこそ真実で生かされている。」と解釈すると言われています。

即ち、ビートルズのヒット曲の「Let it be]の一節、「なすがままに」にも通じる考え方だと思います。

俳誌「山暦」(青柳志解樹主宰)の理念は「自然を尊び自然に学ぶ」と知りましたが、このような姿勢での句作りも同じと思います。素直な姿勢については次の言葉もあります。

マザーテレサの言葉「自己からの解放」
  主よ、私は思いこんでいました
  私は与えるべきものは何でも与えていたと。
  でも胸に手を当ててみて真実が分かったのです。
  私の方こそ与えられていたのだと。
  主よ。私が自分自身から解放されますように。

アインシュタインの言葉
  人間の価値は、
  その人がどれくらい
  自分自身から 解放されているかによって決まる

先人達のこのような示唆を参考に、俳句を作る日頃の姿勢をもう一度振り返りたいと思います。

目次へ

 

新春随想 2021 コロナ禍での俳句作りの道を考える

昨年一年間、コロナ禍の試練の中で私達はこれまで経験のしたことの無い沢山の世相に出合い、沢山の事を知り学びました。そして、新型コロナウイルスが世界の国々を呑み込んでゆく現実は今も変らず、身近な郷土からも感染者が発生し否が応でもコロナ禍の禍中に誰もが引き込まれています。貧困・格差・医療崩壊、不平等と様々な社会問題を起こしたコロナ危機で、現在も世界全体が騒然としています。昨年一年間の世界の新型コロナ感染者は六三二六万人に近づき、死者は一四六万人(2020・12・1現在)を超えた事実には驚くばかりです。新しく迎える年は「感染病の負の歴史を繰り返さぬ正念場」と新聞では大きな見出しを掲げ報道していますが、どの様な動きとなるか、その展望は未だ未だ未知数です。

さて、このような現実の中で、私達は今年も引き続き俳句活動をしていく訳ですが、この新型コロナ禍の中での俳句作りの心構えと歩むべき道筋について、もう一度、様々に考えてみました。愚考かもしれませんが私見を次に述べたいと思います。

先ず、前号で触れました「センスオブワンダーの信念」に戻り、「この地球では人間もウイルスも自然もいのちの糸で編み上げられたネットである」と前提にたち、次々に襲い来る災難の根底に無常観を据えたいと思います。無常観については日本文学史の中で先人の著わした書物は数々とありますが、中でも天災・社会変動を描写し、全体を徹底した無常観で貫いた有名な随筆「方丈記」(十三世紀初め刊行)の存在に気がつきました。「安元の大火」「治承の大風」「養和の飢饉」「元暦の大地震」と自然災害と災難辛苦の歴史が列記されており、「心をなやますこと数ふべからず」と無常観で結ばれています。又、十四世紀にはこの無常観について、仏教的視点も加え自然と人生を見詰めた「徒然草」が生れました。

そして俳文学では、芭蕉の俳論「三冊史」の一節に次の文章があります。「千変万化する物は自然の理なり。変化に移らざれば、風あらたまらず。」「かりにも古人のよだれをなむる事なかれ。四時の押しうつるごとくものあらたまる、みなかくのごとし。」この一文は「時代は常に変化して、一瞬もとどまることが無い」と無常観が記してあると知りました。この一文では更に芭蕉は踏み込んで、「乾坤の変は風雅の種なり」結語しています。この結語の意味は「天地自然の変化は、すべて風雅として俳諧の動機であり、素材である。」と解釈します。この芭蕉の結語を現在の私達が遭遇している社会現象にあてはめれば、まさにコロナ禍を乾坤の変と考え、この世相の中での句作活動の動機と考え、俳句の素材としても取り組むことが新たな俳句作りの道筋になると考えてみました。

それでは、具体的に芭蕉は「乾坤の変」をどの様に「風雅の種」にしたのでしょうか。芭蕉は次の様に具体的な行動指針を記しています。「飛花落葉の散り乱るるも、その中にして見とめ聞きとむるなり。見とめ聞きとめざれば、をさまると、その活きたる物だに消えて跡なし」(花びらや落葉が散り乱れても、その中にあってそれを見とめ聞きとめなければ、動きがおさまれば、活き活きした変化は消え失せて跡形もなくなる)と指摘しています。芭蕉の言葉こそ、現状の騒然としたコロナ禍の中での句作活動の喚起の言葉と思います。

そこで、今後の句作活動と歩むべき道筋を具体的に私達は見定めなければなりませんが、それを「自然に対しウイルスに対し人間は謙虚に接し共生すること」に、絞りたいと考えてみました。(この指標の背景にはCWニコル氏の次の言葉を参考にしました。)「人間がどんなものを作り出したとしても、根底は、自然の上で、自然界の中で成り立っているものですから、自然を超えることはできません。どこまでも、根源である自然を常に感じ、学びながら、進んでいくことが、よりよい環境や、進化を実現していくことです」(CWニコル・環境保護活動家、黒姫高原の荒れた里山の一部を購入し「アファンの森」と名付け]里山の再生運動を展開し、エコツーリズムを実践)。

そして、新たな年の句作活動の道を、次の草田男師の指針に沿って歩みたいと思います。草田男全集参考・・・「芭蕉の造花(自然)にしたがひて造花にかへれの態度を私の俳句文芸への身構えとする。自然とは俳句の素材だけでは無く人間の内面を触発する存在である。」・・・・新たな俳句活動の信念とする。草田男「俳句入門」参考・・・「見たり聞いたり感じたりしたことを、ゆがめることなくありのままに表現する」それが写生の意義。この「感じたこと」の大部分を出来るだけ表面であらわに説明しないように「見たこと」「聞いたこと」の中へ、つまり直接体験した対象の中へ、しかも対象の中心である季語の裏へ、封じ込み結晶させようと心掛ける。」・・・・

このような考え方で此の一年間の私達の俳句活動を推進したいと思います。我田引水の考えかもしれませんが念頭の言葉とします。(完)

目次へ

 

新春随想 2020 自然との対話

昨年の九月、十月に次々と台風が襲来した。なかでも十九号台風は長野県に大きな爪痕を残し、被災地は東日本の十七都県の市区町村に及んだ。被災復興の為に現在も引き続き多くの人々が日夜力を尽くしているが、台風が残した数百万トンの災害廃棄物は、今後二年を経過しても処理出来ないと言われており、大きな社会問題にもなっている。この様に、日本列島はいつになっても自然災害からは免れないのが現状で、今後、更に地球温暖化が進み、異常気象による大型台風発生での甚大な被害が危惧される。

さて、前号の「塵園の花」の冒頭で、現状の自然環境の中での俳句が向き合う自然観について触れたが、もう一度、このテーマについて考えてみたい。先ず、台風災害をもたらした自然の猛威に対し、我々はどの様な感情を抱いているだろうかと考えてみた。現実に日々災害復興に励む被災者の方々が、自然の猛威に怨恨を抱いたという話は聞いてないし、マスコミ報道でも、その様な見方はしていない。むしろ、哲学者・梅原猛氏の発言には「人類は自然の恐ろしさを知ると同時に、自然の恩恵に感謝し、人間を超えたものの存在を信じたい」という言葉がある。更に、「神が自然が人類に与えてくれる恩恵を考え、それを希望と呼んでいる。もっと謙虚であれば自然は向こうから恩恵をもたらす。」(小説家・精神科医・加賀乙彦)という示唆さえある。加賀氏の発言の背景には、「世界の温室効果ガスの排出は増えて今のままでいけば、今世紀末に3度気温は上がるとの予測」が前提にあり、自然と謙虚に向き合わず経済優先をして自然破壊へと歩みだした現代社会への警告と私は斟酌させて貰った。

しかし、被災者の方々にすれば家屋・土地等の財産、平穏な日常生活等を、突然に奪われ途方に暮れ、避難生活で先を見通せない現実には、台風の仕打ちに複雑な思いを抱くであろう。特に農業・林業・漁業に従事し自然の恵みを糧として暮らしてきた方々は、いかばかりであろうか。

今回の様な現実の中での俳句作りをする難しさを痛感したことは嘗て無かったが、この戸惑いの中で今回ひとつの道標を得ることが出来た。その一つは、「自然の計り知れない脅威を畏怖しつつ、科学技術の破綻(原発事故等)に対して自然を詠む、人間を詠む行為をつづけなければならない。それは自然の畏怖と共感に裏打ちされた表現でなければならない」(篠原徹・滋賀県立琵琶湖博物館長)という発言である。

もう一つは、盲人エッセイスト三宮麻由子さんの著書「鳥が教えてくれた空」の一節である。「俳句を作ろうとする時、初めに自然ありき、という世界観を捨てられない。私にとって季節はいつも鳥の声から移ろい始める。人間が感じる前に、いつも鳥が季節を連れて来ると思ってしまう。要するに、私はありのままの自然を感じていたい。そしてその気持を、日本人が古来から育んできた俳句という形で、文字に刻んでみたい。」(三宮麻由子さんは俳人、結社「浮巣」所属)

この二人の言葉を踏まえて、もう一度、句作りの原点に戻り今回の戸惑いを払拭したい。そして、芭蕉の言葉「造化(ぞうか)に随(したが)ひて四(しい)時(じ)を友とす」を目指し、新たな年の自然との対話を大切したい思う。最後に、草田男師の言葉を記す「自然は俳句の素材ではなく、人間の内面を触発する存在である」

目次へ

 

新春随想 2019 俳句の縁起を考える

新たな年を迎え、昨年を振り返るとさまざまな事が脳裏を駆けめぐりますが、特に印象に残ったことは、トランプ大統領の引き起こしたさまざまな社会現象、西日本豪雨や北海道地震をはじめとする沢山の自然災害、SNSによる価値観・人間関係の多様化(特に若者の行動)等であります。

この現実のなかで俳句の立ち位置を考えると、余りにもギャップが大きすぎて戸惑いますが、私達は草田男師の言葉の通り、「作品は生み続けなければならない」と己に言い聞かせたいと思います。「魚は水にあかず魚にあらざればその心を知らず、鳥は林を願ふ鳥にあらざればその心を知らず」(方丈記十三章)の一節の様に、俳句を作らなければ俳句の楽しみも俳句の心も解らない訳で、これからも、己の心を見つめ、矜恃を持ち謙虚に真摯に句作に取り組まなければならないと、年頭に当たり改めて心に刻みたいと思います。

目まぐるしく変化する現代社会で生きていく現実は、日々俳句作りのみに専念するのでは済まされない事は、皆さんも十二分に理解されている筈です。そこで、観点を変えて俳句をもっと広く深く考える起点として何を据えるかを、私なりに考えてみました。牽強付会の考え方かもしれませんが、次に述べてみます。

まず、俳句を作る精神の根幹として言い古されていますが、芭蕉の「笈の小文」の一節を挙げたいと思います。数少ない芭蕉自身で著した俳論の根幹をなす思想と言われる「風雅の誠」です。「風雅におけるもの造化にしたがひて四時を友とす」を現代語でわかりやすく解釈すると、「自然を愛する心こそ、人間を愛する心に通じる」ということです。そして、慈母と厳父の二面を持つ自然の永遠の法則、運行の正しさ、自然の慈愛を悟るために、芭蕉は旅に出て、人間の有限な生命と自然の無限な生命を一つに重ねることを実践したと言われています。

それでは具体的に近代の俳人達は、この芭蕉の精神を具現化するために、どの様に句作をしたかを考察してみます。

先ず、草田男師の考えは俳論を引用すると「俳句は自然の生命と自己の生命との一致によって、自己の生命を培いたいという要求から生まれた文学である」そして「具体的に句作する時は、見たこと感じたことを、できるだけあらわに説明しないで、自然界などの対象の裏へ封じ込み結晶させよ」と示唆。

次に、秋元不死男氏は「季語(自然)の中に自分が生きていることを実感せよ」と。

石田波ク氏は「俳句は自然礼賛の詩。純粋に自然を詠む句はもちろん、自然を主としてそこに人間や生活をのぞかせた句は、社会や人間を詠んだ句よりもはるかに多く、純粋に自然を詠んだ句には感動の独特の波動によって、作者たる人間が現れる。」と言っています。

飯田龍太氏は「自然風土を俳句にとりあげたとき、旅の人は自然を自分の方向から見るが、私の場合はいつも自然から見られている感じです。」と述懐しています。

この様に近代の俳人にも芭蕉の精神が確りと受け継がれ、句を通し自然に寄り添う姿勢が明解に表れています。これを私は自然との縁起(えんぎ)と考えてみました。「私達は他者の存在のお陰で存在している」ということを仏教語で「縁起(えんぎ)の理(ことわり)」と言われています。俳句が悠久無限の自然との縁起で存在していると考えれば、自由にのびのびと作ることが出来るのではと思います。

目次へ

 

新春随想 2018 俳句の社会性について

昨年一年間はトランプ政権下の米国や世界各地で、人々の分断をあおる言葉が飛び交い、平和を破壊する紛争も相変わらず起きた。国内では衆院選が終り、保守一強体制は変わらず、北朝鮮対処、税金、格差、教育、高齢化福祉等諸問題における保守と革新の対決態勢も混沌としたままだ。「この様な現実に対して、俳句は全く無力無関心でよいのか」と危惧する声が聞えてきた。一方、「俳句は省略の文学で彫刻的詩であり、最短の言葉で詩を作る最短の文学であるから、政治、経済等の社会問題に関与出来る訳は無く、あくまでも己の為の文学である。という主張もある。」この二つ相反するの主張に対して、これから新しく構築されようとしているSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)社会へと、否応なく引き込まれようとしている我々が、俳句を趣味として身を処する時にどの様に考えるか、年頭にあたり私なりに考えてみた。

先ず、このテーマについて俳句の歴史的背景から考えてみたい。そもそも俳句は、平安、室町、鎌倉時代に栄えた貴族文化の連歌を、それに対抗して一般庶民のものとするために、連句という形式にした江戸俳諧が起点となったので、己のための隠居趣味として誕生し発展してきたのでは無い。むしろ連句や俳諧は、江戸時代の精神文化を一般庶民のために定着化させようとした大きな改革であった訳で、それなりに使命を持っていたと言える。そして、そこには改革は押し進めるリーダーが必ず出現したのである。宗教に於ける空海・法然・親鸞の如く、俳句では、芭蕉・子規・虚子の存在が現代俳句を築いた揺るぎないリーダーの姿である。なかでも今回のテーマを考えた場合、芭蕉の生き方、考え方が参考になると思って、芭蕉の生き方と考え方について、振り返り文献等を探ってみた。

草田男全集(9)で、草田男師は次の様に語る。「芭蕉が生きた元禄時代は、戦国時代が終息し、世の中が安定して、平和な時期、実生活を安んじて享受し得る時期が続こうとする、まさに世の中の上り坂の時期であった。芭蕉はその平和の盛時に居りながら、兵乱の時代に住んだ人の様に一生を送り、人生に対処した人であったと言われている」。

又、芭蕉の本1・芭蕉の文化史的背景(林屋辰三郎記)には次の一文がある。「芭蕉は元禄七年(一六九四)五十一才で世を去るのだが、風雅をわが道一つとした芭蕉は、封建倫理を否定した点で文化的には中世を集約したと共に、近代への第一歩を踏み出したといえる。そのように考えると、旅と草庵にもまた、封建社会に対する芭蕉なりの否定という、積極的評価を与えることが出来る。」これ等の文章の様に、芭蕉は時代の流れに立ち止り己の為の隠者俳句を作っていた訳ではなく、平和な時代にありながら、兵乱の時代に生きた如く一生を送り、時世を考えてきたのである。その思考過程として、草庵に住み旅を繰り返したのではなかろうか。その支えとなる信条が「不易流行」であり「高悟帰俗」と私は思っている。

又、芭蕉の人生を支援した人達には、杉風(江戸幕府御用達魚問屋)其角・尚白・酒堂・凡兆・(医者)乙州(荷問屋)木因(廻船問屋)杜国(米穀商)野水(呉服商)越人(染物屋)等々の富有層もいたが、その支援に甘んじること無く弱者、貧者への思慮は決して失ってはいないと理解している。

芭蕉は混沌とした現実の世界からの脱皮を目指し、旅を繰り返し、造化(自然)の生命に触れ、自分の心を責め、謙虚さと慈愛を取り戻そうとした行動が何よりもその証である。「風雅の誠」を追求し自己脱皮を試みていたのである。それが混沌と矛盾の孕む時代(社会性)の中での新たな発想や表現を生む過程であり、流行から不易を見いだす行動であったと納得したい。

さて、それでは具体的にどうすればこの蕉風精神に近づき俳句の社会性を鑑みることが出来るであろうか。手許に有る新聞・俳誌を広げ、いわゆる時事句を拾ってみた。すべて時事用語(沖縄・原発・被爆・基地等)を句材として用いた作品であった。果してこれ等、時事句が俳句の社会性を具現しているのだろうか。

最近、埼玉地裁で判決があった俳句掲載拒否訴訟の句“梅雨空に「九条守れ」の女性デモ”も、平成時代の時事句であり、時事用語の俳句の範疇を出てはいない。私の俳句の社会性に関する解釈がずれているかも知れないが、社会性俳句とは時事用語、社会問題を具体的に句材とするのみでは無く、その背後に革新への姿勢・提言等を感じ取れることが必要ではなかろうか。次に、草田男師の社会性俳句と思われる作品を抽出してみた。

外套の釦手ぐさにただならぬ世(二二六事件の後 昭和十二年作)

壮行や深雪に犬のみ腰をおとし(太平洋戦争の一年前 昭和十五年作)

切株に踞(きょ)し蘂に涙濺(そそ)ぐ(終戦の大詔を拝したる日)

浮浪児昼寝す「なんでもいいやい知らねえやい」(昭和二十四年作)

いずれも自問自答の句では無く、自問他答の句である。作者が生きた時代の社会問題を俳句に潜ませ、己の進むべき道を示すことは、容易ではない。そして、混沌とした現実に直面し、矛盾に満ちたさまざまな事象に、己の見解を結論づけるには周到な準備が必要である。私にそのような句作りが出来るかと問われると全く自信が無い。それでは、どうすればよいのであろうか。最後に、その「解」として、草田男師の次の言葉を指針として掲げたい。

「現実世界が我々の周囲には日々肉薄し、日々烈しく時代的に急速度で複雑に変転しる現状であります。われわれ俳人は芭蕉の態度に学びつつ、旅から旅へと遍歴して心の浄化をして人間界に帰って来るというのではなくて、人間界と最初から接触しつ、しかもその人間界の刺激と混乱と矛盾との中に自己を見失わないでいきたいと念願せざるを得ません。時代人社会人として本質的に生き通すことと、芭蕉の様に永遠的なものを自己の裡に深く体得していくこととを同時にやっていきたいと思います。いわゆる風流道だけに逃避することなく、二つの生き方を同時達成せしめることを念願にしたいと思います。」(昭和四十五年四月・俳誌「萬緑)掲載)

目次へ

 

新春随想 2017 人事諷詠句か自然諷詠句か

新年を迎えると、先ずは元朝の空と初日を仰ぎ若水を汲む習慣を何年も繰り返してきたが、その時の初景色の印象が昨日と同じ風景であっても、新鮮に感じることができるだろうか。そして、その心象を眼前の自然に置き換え、果たして一句にすることができるだろうかという設問を、年頭に当り考えてみたい。

現代俳句の傾向は身辺事をテーマにしたものが圧倒的に多い。更に、科学技術の進化、情報産業の発展と情報伝達の超高速化、グローバル化で、常に己の周辺環境が変化し続けており、己の意志次第では、未体験の情報と映像が恰も追体験してる様に入手することも可能になった。これも人事句、時事句の増加に拍車かけてる大きな要因であるとも思う。又、身辺人事句は作り易い。作者個々の思惑や実生活の体験を自由に述べれば句になるのである。

そこで設問に戻るが、この様な環境の中で初景色に眞向かい純粋に対話が出来るであろうか。或る人は言う。「自然諷詠の作品は出尽くしてをり、名吟が立ちはだかり自然を純粋に詠もうとすると類想の危機にさらされる」又、或る人は言う。「自分の目と心で実感するということは、まだまだいくらでも余地が残されている。自分なりに自然を詠みその深さを知り、季語を通して自然の心に触れていくことが出来る」この二人の発言のどちらを支持するかは各々の意思次第であるが、両者の言葉は事実であり、その選択は、今、己自身で決めなければならないのである。

年頭に当り、我々の目指す本物の俳句の道を、原点に戻りもう一度考えてみる好機であると考え人事諷詠か自然諷詠かを、もう一歩踏み込んでみたい。先ず草田男師の示唆を参考にするため、草田男全集を繙き次の言葉に着眼した。

私は伝統の安易さの中に眠るものでなく、新興の放埒さの中に溺れるものでもない。伝統の本質的な必然性の上に立ちつつ、時代の煩苦に直面していく者である。虚子は「客観写生」と「花鳥諷詠」の提言を掲げ示した。この提言は芭蕉がスポットライトを当てた「造化」の生命と一致する。芭蕉の「造化にしたがひて造化にかへれ」の態度を、私の俳句文芸への身構えとする。自然(造化)とは俳句の素材ではなく、人間の内面を触発する存在である。自己の内面の生命、喜怒哀楽の情を自然の「物」によって触発する、その「物」が季語である。*(草田男全集8・9より抜粋)

やや、難解な文章であるが、草田男師の本物の俳句を目指す覚悟が脈々と伝わって来る文章である。季語に対する思い入れや自然との向き合い方について我々は疎かにしていないだろうか。今迄の私の句作人生を振返り内心忸怩たるものがある。それでは、これを具体的に己の句作の際、どの様に対処するかについて次に考えてみたい。師は次の指摘をしてくれている。

「感じたこと」の大部分を、できるだけ表面であらわに説明しようとしないで、「見たこと」「聞いたこと」の中へ、つまり、直接経験した対象の中へ、しかも対象の中心である季語の裏へ封じこみ結晶させようと心掛けなければなりません。又、「見たこと」「聞いたこと」は、あくまでも自分の目で見とどけた直接体験の上にだけ立つ決心でいなければなりません。更に、間接に他人から聞いた話などは、あとまわしにして、出来るだけ句材として採り上げないことです。(草田男俳句入門より)

この文章での「対象」とは、「自然」を指していると思う。「自然(造化)」を句材にするだけではなくて、「人間の内面を触発する存在」であることを、草田男師の文章から、よく認識しなくてはならないと思う。自然を句材として扱うというより、自然こそ人の感情を触発する存在として考える基本的な思考を、身につけなければならないと、私は納得した。

この自然と句作との関わり方については、同様なことを飯田龍太氏も発言している。 「人間とのかかわりを捨てて自然だけが独立して見えるはずがないのだ。それが作品の表に出るか裏に出るかは別としても、人に対する関心と好奇を去って自然を見る眼だけが肥えるということはあり得ないように思われる。」(自選自解・飯田龍太句集後記より)

草田男は「自然こそ人の感情を触発する存在」龍太は「人への関心を去って自然を見る眼は肥えない」と示唆し、人事句や単純な自然諷詠句を安易に作ることを二人はいさめてると思う。更に自然諷詠句の背後に、人間の並々ならぬ感情がうごめく句作りを教示してるのである。そして、現実として、この考え方を一句の中で如何なる表現に置き換えるかを、我々に求めてるのだと結論してみた。「感じたこと」を見たり聞いたりした自然(季語)に封じこめるには具体的にどうするかを、たやすく修得できる訳ではない。各々が考え、多捨多作して身につける研鑽の道なのだと草田男師が指摘してると考えなくてはならない。

冬の水一枝の影も欺かず      草田男
     (草田男師のこの一句は心象を季語に封じ込めている。・・北童)

現代俳句は時代を反映して日々その姿を変えている。その善し悪しは別として、俳句を作る目的も千差万別、例えば、余暇を過ごす趣味、俳句のコミュニテイーで交流を楽しむ、惚け防止等々。その中には俳句を通じて、人間的な達成や人生観の形成を目指す人もあろう。どれを選択しても己の意志次第であろうが、結社に所属する限りは句作の目的(俳句の道)には、結社の理念を根底とする決意を皆さんに望みたい。そこでここに、その理念を、もう一度繰り返し此処に記す。

幻魚遺訓
「作品は己の形であり、影である。分身でもある。」

黒姫の理念
「不易流行を信条として気負わず衒わずに確と足許を見つめ郷土に立脚した作品を己の為に生み出す」

目次へ

 

新春随想 俳句への志

昨年のNHK大河ドラマは、幕末から明治維新の世を取り上げ、吉田松陰が率いる松下村塾に志を抱く青春群像の登場から始る、近代日本の基礎造りに関わったさまざまな人達の歴史スペクタクルであった。そこに現れる人物は、時代に翻弄されつつも各々が志を持ち行動をしていたと私は興味深く視聴した。

そこで、己を振返り、私自身は俳句に対し長く関わってきたが、「俳句への志」を意識したことがあったのだろうかと回顧してみた。現代俳句に志を問うこと等は時代錯誤と言われそうであるが、敢えて、このテーマを考えてみることにした。

芭蕉の志は「風雅の誠」「不易流行」「造化に随ひ造化に帰れ」「乾坤の変は風雅の種なり」「跡を求めず古人の求めたる所を求めよ」等が残されてるが、それ等を全て為し終えたのでなくて、弟子達との現実の混沌を受け止めながら、「高悟帰俗」(高く心を悟りて俗に帰るべし」という姿勢を崩さなかったと云われている。

志は高く持ちながら、現実には弟子達の諍いや過ちの後始末、世間との軋轢や、金銭問題にまきこまれつつ俳人生活を送ったと伝えられており、まさに、この姿勢こそ「志」の具体的な実践ではなかったかと私は理解している。即ち、志とはスローガンの様に掲げるものでは無くて、胸中に潜めて地道に日常の行動で実践するものではなかろうかと考えてみた。

そこで、我が身に翻り、この志を具体的に抱いたことがあったかと己に問うてみた。

先日、ある句会で志のための俳句の力を求めようと発言したら大上段に振りかぶりすぎると不評であった。現実の趣味の世界はもっと悠々と平穏に自由にあるべきなのかな、私が先走りし過ぎてるのかなとも感じ、高悟帰俗とは理想論に過ぎず、己の身の丈にあってないのかなと反問をした。然し、己自身の「俳句への志」を探し求めることも、これからの句作りのために大切な要件であると思い直し、今回、敢えてこの稿を起したのである。

起稿にあたり三人の師の足跡から、その志を探ってみたが、

「俳句は己の生命のために作る・草田男」
「作品は己の形であり影である・幻魚」
「郷土に立脚した作品を己のために生み続けていく・紫晃」

この言葉に「俳句への志」が凝縮しされてると、改めて気付いた。

三師ともに己のための句作を示唆されてるが、これを私流に「己以上にみせず、己以上に語らす、等身大の己にする」という様に解釈してみた。そこで、そのための俳句作りをどの様にするかを考えることが、私の俳句への志であると結論つけてみた。今後、俳句の力を借りてこの志を果たせるだろうか。

最後に皆さんに問いたい。「あなたの俳句への志は何ですか」と。そんな面倒くさい事を言われるなら俳句を辞めるなどと言わないで、この際、一度、考えていただきたい。

(黒姫四百号掲載の草田男・幻魚・紫晃・三師の記事2〜4頁参照)

目次へ

 

新春随想 新たな課題

本誌は昨年四百号の節目を越えて、ここに新たな年を迎えました。そこで、もう一度自らの足元と原点を見つめ直すことが必要と思い筆をとりました。

先ず、結社の組織・構成に関わること、次に、俳誌発行をする為の財政措置に関わること、更に、我々の生み出す作品の向上と俳句を作る目的意識の三点に絞り考えてみました。

結社の組織については、支部組織に支えられた同人会とそれを構成する同人・会員の皆さん、及び、一般個人会員の皆さんに二分されます。ここでの問題点は、その組織を構成する会員の高齢化と会員減少です。五年位前からこの傾向が顕著になり、改善出来ぬまま現状に到り、現時点では実質的に二支部廃止、四句会廃止を余儀なくされて会員は最盛期の四割減になりました。現代の俳句界は一部結社を除きこの問題には何処も悩んでる様ですが、黒姫もこのままでは憂慮すべき時が来ることは確実と考えています。

結論としては会員の増強しか無い訳ですが、これは「云うは易く行うが難し」です。現在まで色々な機会を捉え、皆さんにご協力をお願いしてきましたが、現実には改善できずに厚い壁にぶつかっています。そこで、従来からの発想に捉われず、会員を増やすためには何をすればよいか、皆さんからの自由な御提案を受けたいと思っています。406号40頁に、詳細を掲載しましたので、多くの皆さんに御提案いただきたいと考えています。

次に、俳句誌発行費用の低減に関する対策です。既に、多くの方々はご承知かもしれませんが、結社財政は数年前から、年間通常収支は赤字でその補填を個人の御厚意による黒姫基金で行っていますが、それも底を尽く時が近づいてます。そこで、この年間支払費用の大半を占める、俳誌発行費用の低減対策について、編集部では昨年度から鋭意、取り組んできました。未だ効果は僅かですが、今後、記事内容の全面データ化等に取組み更に効率化をしたいと計画しています。皆さんに別途ご協力をお願いすると思います。

最後に、一番重要な課題、俳句に向き合う姿勢と作品内容のレベルアップについて考えてみます。既に、皆さんはご承知の通り、黒姫の理念は「不易流行を信条として、郷土に立脚した作品を己のために生み続ける」でありますが、この理念を理解し具体的な作品作りに反映させることは容易ではありません。先ず、俳句と向き合う姿勢ですが、故紫晃先生の言葉に「自分のために俳句を作れ」があります。自分ためにとは、エゴイスト(利己主義者)になれということではありません。勝手気儘に俳句を作れということでもありません。

「己の境涯を記録する基点とせよ」ということであると私は解釈しています。己の作品が優れてるか、後世の人に読まれるかと考えるのでは無くて、もっと素朴に、己の生きた証として知辺の人々の記憶に少しでも残ればよいと考えるべきことだと思います。この「無名の自負」を目指し句作りをすることも、自分のための俳句作りではないかと考えています。

次に、作品作りの心構えですが、その根幹をなすものが黒姫の理念の「不易流行」です。広く知られてるこの言葉の意味は「不易は詩の基本である永遠性、流行はその時々の新風の体・・・広辞苑」であります。私流の解釈では秀句・名句の根底に潜み一貫して変らないものが「不易」で、時代の推移、環境の変化により句表現、句材等が様々に変化することを「流行」と考えてます。もっと身近な具体例では俳句の形式(定型・季語・切れ等)の伝統を守る事を「不易」と解釈し、この形式に捉われず破調や定型の逸脱、カタカナ、話し言葉等を使うことを「流行」と考えることもできます。

「不易を知らざれば、基たちがたく、流行を知らざれば、風新たならず」(不変の真理を知らざれば基礎は確立せず、変化を知らなければ新たな新展はない)と芭蕉は主唱して「不易流行」を蕉門の行動原理、指導原理にしたそうですが、現代俳句では敢えて此の「不易」を崩すことによって、恰も新たな詩型・詩魂が生まれると錯覚している様な作品が多く作られています。徒に流行を追うことにならない様、厳に、注意せねばなりません。

再び不易流行について、芭蕉の考え方を「赤冊子」から復習してみますと、「不易」とは時代の新古に関わらず、作風の変化や流行(この場合は時代の流れの事)にも関係なく、しっかりした「誠」に基づく作品を創造する姿勢であり、生み出された作品は何時の時代でも多くの人達に感銘を与えるものであり、「流行」とは人の口真似や、単に時代の変化に追従するのでは無く、時代の流れに沿って「誠」を追求し、己の道は何かを求め、己の道を純一化しようと努める姿勢の上に立つ作品作りであると、解釈しています。

そして「誠」の意味ですが、「誠とは自然の生命に順応し自然の精神に溶け込むことであり、そこから天の恵み、慈愛を感じ、人間愛を抱いて俳句作りをする意識」だと解釈してみました。この様に不易流行を理解し新たな行動に移す(句作り)ことが、これからの己の作品向上につながるのではと考えています。

甚だ生硬な文章で、理屈倒れの感があり、お解りにくいと思いますが、これを機会に、もう一度「黒姫の理念」について関心を抱いていただき、共に、地道に、俳句作りの道を目指していこうではありませんか。おわりに、日本画家・東山魁夷画伯の言葉「制作には題材の特異性、構図や色彩や技法の新しい工夫というよりも、もっとも大切なことは、素朴で根源的で、感動的なもの、生命の存在に対する把握の緊張度である。」(魁夷著「風景との対話」より)を記します。

目次へ

 

新春随想 2014 「塵」への思い

黒姫誌四百号到達を機に、これまで「黒姫」俳句作品欄の呼称に「塵」が使われてきた経緯を振返ってみた。
五十号(S25・2)に「軽塵集」が登場
百二十二号(S36・8)に机塵集・軽塵集が登場
百九十一号(S54・1)に山塵集登場
二百十二号(S57・7)より白塵集・机塵集・軽塵集・山塵集
三百五十号(H9・12)より現在呼称(博塵集・白塵集・机塵集・清塵集・山塵集)になった。

そこで、何故に創刊主宰・渡辺幻魚師は「塵」を用い「塵」に拘り、二代主宰・望月紫晃師はそれを継承し更に重層構造にしたかを知りたいため、過去の俳誌を遡り調べたが特にコメントは無かった。それは「語る迄も無く己で学び己で悟れ」と二人の師が示唆されてるのだと、受け止めて、「塵」について、私の勝手な思いを此処に展開させて貰うことにした。

まず、「塵」を広辞苑にて調べその意味の広範囲な事に驚き、私の不勉強さを恥じた。塵とは単にゴミ・クズ・ホコリなのだと考えていたが、それに纏わる様々な意義が隠れてることを知った。その中で特に私の心に止まった二つの意義がある。
(一)僅かな物事のたとえ・取るに足りないもの。はかないもの。
(二)先人が残したもの(遺業)・・・
一に関しては「塵に同ず。塵に交わる」二に関しては「塵に継ぐ」の成句がある。

そこで、(一)我々が現在生み出してる作品は、世間に発表する様な大それたもので無く、己の軌跡として記録しておく、取るに足らないものであるが、(二)先人が遺してくれた優れた作品は確りと受け継がなければならないのだ。と結論つけてみた。いささか牽強付会な考えであるかも知れないが、黒姫の理念「不易流行を信条とし、己のために作品を生み続けてゆく」に通じるのではと思った。この様な思いが「塵」に託されているのだと考えたい。

更に、個人的には、己の俳句作品は生存している間は形として残るが、死せば儚い「一片の塵」に帰するものと考えている。もし、俳句に関心の無い遺族ならば、作者が生前にいくら秀作句を遺しても、一片の塵にしか扱わないのである。今考えると、幻魚師が生前に句集発行を拒んだ理由が、この「塵」に拘ったのではないかとも思えてきた。

「我々が住む銀河系には、約二千億個の星があり、同様の銀河がほかに一千億個ある。誕生から約百四十億年になり、宇宙誕生以来、人間は数十億年の生命連鎖の先端にいる。無限と言えるくらい長く続く時代の中で人間の生命は、ほんの一瞬の存在である。小尾信弥東大名誉教授談」

数十億年の生命の連鎖の先端に生れた人間は一瞬の存在であると思えば、「一片の塵」には相応しいのではとも思った。尊大な発言かも知れないが、この様に自分自身を突き放し、一瞬の存在であり、又一片の塵でしかないと考えることから出発せよと、「塵」の呼称は示唆してるのではないかと考えている。(「塵」を付した文学作品で、古典の「梁塵秘抄」と藤沢周平著「市塵」が目に止まった。「市塵」で新井白石が市塵へ戻る終章が印象に残った。)

目次へ

 

新春随想 2013 「座の文芸」を受け継ぐために

俳句は「座の文芸」と言われてきた事は、皆さん既にご存知と思います。これは、俳諧(連句)誕生の歴史にさかのぼり歌仙の世界に由来することも広く知られている事です。

今年度末で黒姫誌は創刊四百に達し・結社は、創立六十六年を迎えます。この記念すべき年にあたり、俳句の原点である「座の文芸」の姿に思いを馳せて、結社の姿の現状と今後について考えてみます。

「座の文芸」とは、「個に孤絶した文学ではなく、二者の問答というやりとりの歌があり、両者には営みの共通基盤があり、夫々の知識における高低深浅、厚薄廣狭の平均基盤が前提である。問答歌には、“唱和と問答”があり、唱は答を予期しない発唱で、和は答えた歌でなくて和した歌である。問答とは、対応する問と答のやりとりの歌である。」と、池田弥三郎氏の著書には解説されてます。

この両者の問答のやりとりを、同じ座(場所)に膝寄せ合わせて座り、作品に向き合い、一座を形成したことから「座の文芸」という言葉が生れたのだと思います。即ち、この「座」が、現代では結社となり、句会に形を変えております。ですから、句会(句座)においては、作者は読者となり読者は作者となり、入れ変わりながら一座を建立する訳です。その句座の中で、作品をとおして、“唱和と問答があり、それは、その座の仲間同士が心通わす土台となる訳です。

もう一歩、この「座」の概念を掘り下げてみましょう。句会は一次の座・結社が二次の座で、理念と志が三次の座であると分別してる学者もおります。二次の座とは、同席していなくても同じ俳句の理念や方向に向かう仲間のことで、空間軸の広がりです。三次の座とは、杜甫・李白・西行・宗祇・芭蕉等の文芸の心に、自らすすんで繋がることで、時間軸の広がりであると言われてます。

そこで、私達はこの「座の文芸」の精神をたゆまず受け継ぐことが必要と思います。現在黒姫には、一次の座である句会が県下各地に一〇句会あります。その他、句会に属さない個人会員が数十名おります。句会メンバーは若返りしている所もありますが、全体的には高齢化してるのが現状で、全体の会員数は、毎年、減少の一路を辿っております。

「俳句とは人生に年輪を重ねて、句境に枯淡が生れる老人と仲良しの文芸である」と評する人もありますが、決して、そんなことはありません。昭和俳壇を築いた現代俳壇の先達(波郷・蛇笏・茅舎・草城・誓子・青邨・楸邨・草田男・亜浪等)は、二十代三十代でいずれも俳壇に登場し夫々の道を切り開いてます。(ここで誤解をしないで頂きたいことは、私達の様な高齢者集団の結社を否定、批判をしているのでは決してありません。私達の存在があってこそ次の世代に引き継げる訳です。)

最近は俳句に関して、若者の考え方が変化を兆し、無所属で個人で句作してる人が多いと聞きます。結社には入会してないのです。結社や句会に属すと、人との交流の煩雑さが生じるので、それを避けてるとも言われてます。まさに俳句は「座の文芸」であることが理解されてない訳です。更に現代の情報伝達手段、インターネット、プログ等の発達により、この傾向を助長してます。

先日、朝日新聞で或る大学教授が語っていた言葉「自分のお気に入りのリンクだけ見ていれば他のニュースは見過ごすことが出来る。特定の情報にだけ接して過ごせる。検索すれば何も憶える必要がない様な、コンピュータの前に座るだけの生活はもうやめたほうがいいと、若者たちに言いたい。」が私の印象に強く残りました。そこで、もう一度、俳句の原点を次の世代に引き継ぐことの重要性を考えてみたいと思います。

俳句の真髄は「主人が客をもてなすように、俳句の作者が受け手に対して敬愛と慎みを持ち、感情をごく控え目に表現してそっと差し出す。」(外山滋比古著・省略の詩学より)の言葉の様に、連帯感を持つ連衆が共通基盤である、一次・二次の座を通して、お互いの心に共鳴感を持つことであります。全てを言おうとせず、作者と読者の協同作業で座を通して俳句を作り上げることこそ「座の文芸」であることをもう一度、再認識する必要があると思います。この座の中での共鳴箱を相互に持つ必要性は、俳句のみならず東日本大震災後、「絆」の文字で日本人の心の中に刻まれた根幹であることは言うまでもありません。

個を主張する手段が沢山あり、安易に自己主張が可能な現代では、俳句作品にも個人観、自立感を顕示する作品が登場してます。俳句でパフオーマンスを誇示することは、「座の文芸」ではありません。この様に、或る意味では混乱してる俳句環境の中で、この「座の文芸」を、私達の手で次の世代に果たして受け継ぐ事が出来るのでしょうか。具体的にどうすればよいのでしょうか。この課題を皆さんと共に考えて、行動を起こす年にしたいと思います。

先日、俳人協会長野県支部総会で、本部評議員の高橋悦男氏が「先ず、自分の家族に俳句を伝えよう。妻、子、孫と共に俳句を作ろう。」と示唆されてました。この言葉も一つのヒントです。又、写真と俳句のコラボ、俳句甲子園もその一つ。各地の小・中学生対象の俳句大会も具体的行動になると思います。

そこで、先ず身の回りを振返り、「座の文芸」の連帯感、共鳴感の素晴らしさ人間らしさを伝えたい人達を、見つけてみませんか。その為には、私達自身も「座の文芸」の基本を確りと身に付けて、次世代の人達と句会を共に出来る様な人間的魅力を蓄えることも必要です。俳句を代弁者にしないで俳句を発言者にして、次世代の人達へ丁寧に、接していかなければならないと思ってます。

目次へ

 

新春随想 2012 年頭に思う(389より一部転載)

年頭の皇后陛下の御言葉が、特に私の心に響きました。

「災害発生後、一時味わった絶望感から、少しづつでも私を立ち直らせたものがあったとすれば、それはあの日以来、次第に誰の目にも見えてきた、人々の健気な沈着な振る舞いでした。非常時にあたり、あのように多くの日本人が、皆静かに現実を受け止め、助け合い、譲り合いつつ、事態に対処したこと知ったことは、何にも勝る慰めとなり、気持の支えとなりました。」

そして、この御言葉の真髄、人間の生来の心の持ち方が、芭蕉の句作の精神に通じると感じました。 芭蕉に「俳句は三尺(さんせき)の童にさせよ」という有名な言葉があります。今、私達は、この言葉の精神に立ち戻り、物事を考えてゆく事がすべての出発点になるのではないでしょうか。芭蕉の言葉の様に、素直な、ありのままの無垢な心、人間が授かった生来の心が根底にあってこそ、皇后陛下の御言葉にある日本人の行動に結びついたのではないかと考えます。

俳句と向き合う姿勢にも、全く同じ事が言えます。己の実感を通し「イマ・ワレ・モノ」を俳句に表現する心を失わないことが、健気な沈着な振る舞いの源にもなると思います。それには、先ず、”自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の言葉で語る”習慣を身につけることが大切であると思います。今までの心のしがらみを捨てて、三尺の童になった気持で新たなる一歩を、又、踏み出したいと思います。

目次へ

 

天災と俳句(東北・太平洋大地震・大津波との遭遇)

随 想 

百年に一度とも言われる巨大地震、大津波に遭遇した光景に、誰もが言葉を失ったと思う。多くの犠牲者、未だ行方不明の方々のご冥福を心からお祈りします。更に、四十五万人を超えた被災者の皆さんに心からお見舞いを申し上げます。被災後、五日が経過して漸く全国各地からの救援の手が届きはじめ、やや心が穏まったが、自らの手で、直接支援ができない歯痒さ、心苦しさが罪悪感にまで達してしまう人達が沢山いたことも現実であると思う。

専門用語ではサバイバーズギルトと言われてるそうだが、この気持を天災を受けた歴史の時間軸、平成の世に生きた証として、今迄培ってきた俳句に残さねばと思っている。今に投句された「黒姫」の皆さんからは、「大地震に心が痛む毎日」「居ても立っても居られない気持」「自然に涙が出てきて困る。どうする力もないことを情けなく思う」「毎日のニュースに衿を正してる」「ただただ驚くばかり、心を痛めるばかり、何時、私共にも起きるかもしれない」「この現実をどうしても俳句にすることが出来ない」等、沢山のお便りをいただいた。

この皆さんの善意、ヒューマニズムを、平成の世に生きた証として俳句に残すためにはどうするかを考えてみたい。さて、今、我々の置かれた場面は、時事俳句・社会性俳句の領域を超えた世界で、百年に一度あるかないかの異常な体験だったと認識しなければならない。それは、平安時代後期の戦乱による末法の世、太平洋戦争で多くの犠牲を払った昭和の世の様な人災ではなくて、天変地異による天災なのである。

崇高な自然とは異なる一面の、人智の及ぶべくもない峻烈な自然に遭遇したのであり、それを恨む訳にはいかない。むしろ、この悲惨な状態から人の絆を以って早く立ち直れるかが問われてると考えたい。この人間の善意の絆、ヒューマニズムの絆として、俳句を活かすことが出来ないかという命題を与えられたと、私は受け止めている。この様な場合の句作りでは、先ず季語の斡旋が一番難しい問題となる。

その季語について、中村草田男師の随筆「アダムの臍」の一節に次の様な事が記されている。「人生の異常な痛切な事件に直面した際に、季題の成分に、空間的要素こそ作用し得ようとも、時間的要素(季節の感覚)までが作用し得る心の余裕を、我々俳人は持てるか否かということである。たとえば、肉親の死に直面した人が、其際の我が心のうちそとのありよう一切を、空行く雲の姿にして、深く心肝にまで刻みこむことはあり得ても、其の雲の姿に春の雲、夏の雲という季感を充分に意識するかどうか、季感を意識すれば、人の心の真摯さは人生の事実の痛切から、あらぬ方向へ逸れがちとなる。(原文の一部省略・北童責)」

この一節を私流に解釈すると、季感を考える心の余裕は無くて、眼前の情景を真剣に見詰め、対処すること(句作)に精一杯であるということだろうか。しかし、そこで草田男師は諦めてはいない。眼前の惨状に負けずに立ちあがれと説いている。「創作の場には、常に極度のあたたかい心と、極度に冷たい眼とが具備されていなければならない。此短詩形を以って、自己の内外を一丸とする、生命の結晶作用のための唯一つの鍛錬道だと知れば、我々俳人は、この困難をさえ乗り越えて進むだけの覚悟がなければならない。」と「アダムの臍」は結んでる。この一節を私流に解釈すると、句作活動は情感と理知のバランスをとることが必要であり、難しいから出来ないと、最初から投げ出さないで、この天災を俳句にしようとする覚悟を持たなければならないと言ってる様にとれる。

勿論、俳句そのものが被災者支援にはならないが、作者の取り組み方で次第で、作者のヒューマニズムと人間性が作品に滲み、この未曾有の天災復興のために、人間の善意が取り組む記録になるので、覚悟を持って俳句を作ろうと示唆してるのだと思う。次に、この様な天災を俳句にする場合、単なる写生句として、社会事象のルポルタージュに終わらせてはならないと草田男師は警告している。単なる「一重性の世界」のみでなく、一種の実存主義文学、象徴主義文学として暗示としての人間像が、一句の中に滲みでることによる、「二重性の世界」の俳句であるべきと主張している。(暗喩句と云うべきか。)

即ち、己の心象、情感、観念を俳句の中で具象の姿に暗示させて、一挙に読者の胸へ伝達しなければならないと言っている。この象徴的な暗示的な句作りは、初心者ばかりではなくても、かなり難しい手法であるが、とにかく「自然と運命との双方を絶対力とみなし、その前に従順にひれ伏し現象の推移の波に揺られつつ、人間の哀切感の実を詠う俳句」になってはいけないと師は警告している。

この草田男師の示唆を受け止め、俳句の中に、人間の善意、人間の絆、人類愛を詠う覚悟を持って、今、巨大地震・巨大津波に襲われた平成の世に生きた証であると考え、天災を俳句として表現する事を試みたいと、私は思っている。たとへ、その作品が評価するに値しなくても、その覚悟を持つ必要があるのではなかろうか。生きている証として。

草田男師の求道的決意の言葉(草田男全集より抜粋)

作品は生み続けなければならない。
此世に、避けられない死といふものが存在し、抑へられない愛といふものが存在するが故に。

参考 天災に遭遇した俳人と作品ついて付記する

永田耕衣

戦前は小野蕪子の「鶏頭陣」で活躍し、戦後は「俳句評論」「琴座」に拠り俳禅一味の優遊の境地を目指した俳人。耕衣は九十五才で神戸大震災に被災し、全壊の須磨の自宅から救出され大阪の特別養護老人ホームへ入居後も句を作り続けた。

“枯草や住居無くんば命熱し” “一歩在り百歩に到る桜かな”

「阪神大震災を詠む」朝日俳壇の記事より。俳人・草間時彦記

「子を抱え地鳴りの中を逃れ来て血だらけの腕血だらけの足・杉岡壱風」「箪笥の下を必死に走り抜けし老妻は一瞬笑い次に泣す・長沼満」この様な短歌の臨場感の強さに感動した。こういうことを俳句に詠むのは難しい。俳句は事柄全体をうたうのにふさわしい詩形ではない。事柄の切断面をうたうことによって、全体を暗示するのが俳句独特の方法なのである。

「その時に止まりし時計冴返る・吉田松籟」「拾ひたるいのちに当つる懐炉かな・松岡ひでたか」短歌に比べ力弱いようにみえるかも知れないが、それは俳句の宿命である。俳句にはもう一つ問題がある。それはこういう場合の季語をどうするかということだ。季語を入れることによって、一句の緊迫感が失われるのではないかという心配が実作者にはあるだろう。

歴史を遡るが、平安時代の末期一一世紀末から十二世紀にかけて、末法の世と呼ばれている。即ち、末法の世とは、要するに秩序の失われた時代であり、現世に多くを期待できない時代のことである。(語源は仏教用語で、お釈迦様入滅後の時代を、正法、像法、末法と呼んだ。正法の世には教・行・証の三者あり。像法の世は教・行あって証なし。末法の世には釈迦の教説(証)のみ残る。)それでも生きていくためには、あらゆる手段に訴えなければならないと言うすざましい時代が末法の世であった。

源平合戦による平家滅亡と、戦乱に明け暮れる乱世の時代で、民衆が大火、飢饉、貧困の責めにあった時代である。勿論、この場合は、天災よりも人災というべきだろうか。この乱世で西行は晩年を過ごした訳で、芭蕉の時代とは全く環境が異なっていたのである。そして、その乱世を立て直すために聖武天皇の発願で東大寺再建をすることになり(1182年)西行は六十九才で砂金勧進のために、みちのく平泉に赴いたのである。それは、西行の菩提心の発露と、経世済民の志の表れであり、遁世・逃避の自由人のみではなかったのである。そして、この様な時にも、西行は和歌を作り続けていたのである。

死出の山越ゆる絶え間はあらじかし なくなる人の数つづきつつ
沈むなり死出の山川みなぎりて 馬筏もやかなはざるらむ
風になびく富士のけぶりの空に消えて 行方の知らぬわが思ひかな
ねがはくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ
ながひおきし花の下にて終りけり 蓮の上もたがはざるらん

最晩年の西行は「煙りが空に消えてゆくように、あてどなく次々に湧いて消えてゆく雑念を持つ自己を、在るがままに反省し、大きく客観視している。その雑念を持たざる人間の業を苦痛に思ってはいない心境に到達したのではないか」と「自然と人間が一如」「求めてやまない求道心と文学的資質になった」と云われている。天災を越えた修羅を生き抜いた人物なのである。

以上
目次へ

 

新春随想 2011 年頭に思う

俳句を作る楽しみの原点は 俳句を作り始めた動機は人それぞれだと思いますが、今作り続けている気持はどうでしょうか。 「初心忘れるべからず」「初心に帰れ」とよく言われますが、俳句を作っていて、スランブに陥って、俳句が作れなくなったり、俳句に興味を失った場合は、皆さんはそれをどの様に乗り越えますか。その様な時、初心に帰るだけでは、乗り越える事が難しいと思います。そこで、その様な対処療法を考えるのではなくて、俳句を作る楽しみは、どの様な点にあるのかという事を考えて、その楽しみの原点に戻ることが一番の早道なのではないかと思っています。

それでは、俳句を作る楽しみについて、私の考え、感じている点を次に挙げてみます。

  1. 自分の作品が、他人の選に入り、自分の作品が認められる。
  2. 俳句を通して、いろいろな人達と、膝突き合わせて出会える。(性別・年齢・過去の経歴・現在の境遇等は関係なく、ひとすじに俳句を通しての出合いがあり、そして、先ずは俳句作品を通じての縁を結ぶ・・俳縁。)
  3. 新人、ベテランの差別無く、俳句作品のみで、句会の中で競い合える。
  4. 自分の感慨、感動をたった十七文字という最短の文章で表現できる。
  5. 吟行を通して、見慣れぬ土地を訪れて、その土地の特徴(自然・歴史、名所旧跡、生活、行事等)に触れて、その時の感慨を俳句として記録する。
  6. 俳句を通して、自分の考えてることや感動が、他の人に共感して貰える。
  7. 室町後期より五百年に亘る歴史に生きた俳句には、俳聖芭蕉をはじめ多くの先人が存在するが、その人達の作品に触れるばかりでなく、その先人の生き方にも思いを馳せてみる。(古人の求めたる所を求めよう。)
  8. 俳句に己の生き方を託してみる。具体的には、俳句を己の為に、己の人生の記録として、己のいきざまの記録として残す。(家族の記録としても使う)
  9. 俳句は挨拶・滑稽・諧謔の表現具としての側面も持つ。花鳥諷詠するのみではなく、時代感覚を生かした時事句作りもして、その時代に生きる己を実感する。
  10. 俳句は省略の文学、余韻余情の文学である。その為には人生に対する謙虚な姿勢が大切である。 生きるための謙虚な姿勢とは、どの様なことであろうか。永遠の課題になるかも知れないが、それを追い求めることも最後に付け加えたいと、私は思う。

さて、辻邦生の随筆の一節に

「文化が違うと同じ人生を見る目も、多少異なってくる。ドイツ人が青春とメランコリ−と音楽を愛し、フランス人が感覚の繊細さと理知の美を愛するのに対し、イギリス人は人生のてごたえそのものを愛しているいるようだ。イギリス文学はまず人生経験を愛する文学といえる。適切な例ではないかもしれないが、イギリス人は階段を上るとき、その上る一段一段の手応えを愛している。早く上ろうとか、上る手間が面倒とか思わない。階段を上る楽しみを最も理解出来ないのが、どうやらわれわれ日本人であるらしい。そんな手間も苦労もないほうがいいと絶対的に信じ込んでいる。

高速エレベ−タ−が他国より発達し、そのおかげで超高速ビルに住むことも可能になった。日本人はそれでひどく楽をし、快適な文化生活をしていると満足しているが、この階段の一歩一歩の楽しみが、案外生きる喜びと直結していることを、どうやら見落としているようだ。つまり結果だけを手にいれれば、途中のプロセスは無駄なもの、無くていいものと思いこんでいる。」

という文章があります。この「人生体験を愛する文学」が、俳句を作る楽しみの原点に通じていないでしょうか。もう一度、胸に手を当てて考えてみましょう。「原点」とは、難しい論理にある訳でなく、特別な修練を必要とする訳でも無くて、日頃の、ごく普通の生活の中にあるのだと思います。ただ、それに気が付かないだけなのではないでしょうか。

現代に活かされる俳句とは何か

俳句は最短の言葉で詩を作る最短の文芸であるが、この短さは、逆に現代社会の刺激に満ちた世相からみると、実に、つまらない、目立たない文芸であり、特に、エネルギュシュな若者にとり、活力の無い老人の趣味にしか見えないのではなかろうか。 果たして、本当にそうなのだろうか。

もし、そうであるならば、現代の若者に見捨てられて消え去る日本文化と断じざるを得ない。そもそも、俳句は、平安、室町、鎌倉時代に栄えた貴族文化の連歌を、それに対抗して一般庶民のものとするために、連句という形式にした、江戸俳諧が起点となるので、老人や隠居趣味の為に発達してきたのではない。むしろ、連句や俳諧は江戸時代の精神文化を、一般民衆のために定着化させようとした大きな改革であった訳で、それなりに、使命を持った文化であったと言いたい。

さて、いつの時代にも、時代の混迷、膠着、困憊を切り抜ける革命者が生れている。宗教に於ける空海・法然・親鸞の如く、俳句の世界では、芭蕉・子規・虚子の様に、その時代の空気を察知して自らの手で改革を断行し、民衆に迎えられ、彼等を牽引した賢人達がいる。

翻って、現代の俳句の世界はどうであろうか。物質文明の氾濫、マスメデイアの発達、富の格差、グローバル化の歪等で、俳句の原点に目を注ぐ若い人は少数派になりつつある。そんな中で、俳句の存在価値を云々するのも憚る様であるが、前述のわれわれの先達の改革者達も、内容に違いがあるにしても 同様な世相との軋轢を乗り越えて、新たな道を切り開いて来ている。

それでは、”現代に活きる俳句”とは、一体どの様なものであろうか。その追求こそ現代における俳句の存在価値を見出す手段の一つになるのではなかろうか。

  • 俳句を世代を越えた共通言語として、老人と若者を結ぶ絆とする。
  • 俳句を通して、自然に触れ、人間に触れ、様々な文明や人類の遺産に触れて、生きる歓びを感得する。
  • 俳句を通して、われわれの先達の生き方を知り、これからの人生の標とする。

上記を、先ずは、現代に活きる俳句を求めるための目標としたい。 それでは、この目的に向って、具体的に俳句作りを通し、どの様に行うべきなのだろうか。まず、夫々の目的に合った俳句作品を作り、読み、共通の認識と情感を持つことである。従来の歳時記を中心とした俳句作りから、やや視点を替えた俳句の捉え方をしてみようではないか。その為に、具体的なテーマを、掲げて俳句を作ることを提案したい。 例えば、その例を下記してみる。

  1. 人間と人生  (生と死、愛情、青春)
  2. 生活     (貧困と格差)
  3. 職業
  4. 文化と宗教
  5. 国家と社会
  6. 戦争と平和

但し、このテーマに取り組むときでも、俳句作り方は伝統に準処し、定型・季語・切れの三要素は踏襲することにしよう。 すなわち、伝統的な俳句作りに手法の中で、新たなテーマを取り込むことに挑戦してみよう。

目次へ

 

新春随想 2010 提言 俳句文芸の絆をつなごう

俳句の楽しみ方は人それぞれで、人生観と同じであると思うが、草田男師の言葉の様に”ちっぽけな言葉の遊戯”にしてはならないと思う。

今、俳句界の現状はどうであろうか。商業メデイアの発達、インターネットの普及等による俳句雑誌の増殖、各地俳句大会の乱立、商業主義の俳句利用等が顕著で、俳句に対する安易な驕りがでてきたのではなかろうか。俳句の大衆化においては貢献しているだろうが、文芸としての厳しさの追及が疎かになり、長い歴史で培われた俳句文芸の伝統と精神が見失われつつあるのではと思っている。なんでもOKの俳句が氾濫するのではないかという危惧さえ抱かざるを得ない。

現在、伝統俳句への反発作品、新芸術観俳句への試み、俳句と他の仕組みとのコラポレーション、競技会形式での競い合い等、伝統俳句への新たな挑戦がさまざまに仕掛けられてるが、江戸時代の爛熟文化を背景とした、談林調俳諧の流布、宗匠俳諧師の横行等の二の舞にならないかと心配である。

俳句は、覇権を競うものでもないし、名声を得る為のツールでもない。もっと、つつましく、素朴に愚直に、ひとすじ貫くものでなくてはならない。そのために、どうするかを今、俳句を作っている人達は考えなくてはならないし、この守らねばならない俳句の精神と、伝統を次の世代の人達に継いでいく務めがあると思っている。

俳句に興味を示さない若い世代に対し、俳句はリタイヤした人のみの趣味ではなくて、それ等人生の先輩と若い世代を結ぶ、心の言葉にもなり、若者の生きる力を支える一翼を担うキーワードにもなる事を伝えてゆきたいと思っている。

目次へ

 

俳句の楽しさ・深さ・広さを知ろう

新たな2010年を迎えるにあたり、俳句人口の高齢化がますます進むことによる俳句からの若者離れに、大変な危惧を感じてます。これからの10年後に「俳句はどこへ行くのだろう」と思うのは私だけではないと思います。俳壇で活躍する若い世代は、ごく一握りの人達であり、地方結社には、30代40代の人達は殆んど皆無状態であるといっても過言でありません。

この現状を私たちは、どの様に受け止めなければならないのでしょうか。映像カルチャーの全盛時代に俳句という地味な文学が生き残るにはどうすればよいのでしょうか。そんな事を考える作今です。新たに迎える年には、この大きな課題を取り残してはならないと思います。さあ、皆さんと共に行動をおこしましょう。皆さんに、ご提案がありましたら、どんな事でもよいから、北童までご連絡を下さい。

目次へ

 

最近の天災と、俳句について考える

中国四川大地震・ミャンマーサイクロン災害の傷ましい自然災害には、誰もが心を痛めていると思います。この様な時に、俳句は無力でしょうか。文芸は無力でしょうか。

俳句と時事とのつながりを、どの様に考え、表現するかについては、正岡子規以来の先人達は、いろいろ苦労し努力をしてきましたが、いまだ衆人が納得する様な解はありません。それだけ、時事俳句は難しいという事です。しかし、時事俳句が出来ないからといって、俳人は時事に無関心であるとはいえません。俳句作りをしている人達にも、ヒューマニズムに溢れている人が多いと思います。

俳句づくりの目的の一つとして、人道主義の実現も目指したいと思います。

俳句は時事と無関係な文学ではありません。俳句を作る人こそ時代を敏感に感じて静かに行動をする、大衆の一人なのです。
時事句は己の記録として残す、人生のひとこまです。時事句を作って見て下さい。

       
 おぞましき地震(ない)潜まりし五月晴 北 童
 弱き者の祈りは深し風薫る  〃

目次へ